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闘魂 サバイバル生活者のブログ

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ネット時代を生き抜くスキル

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朝日新聞のコラムに坂口安吾の堕落論の次の一節が引用されていた。

 半年のうちに世相は変った。醜(しこ)の御楯(みたて)といでたつ我は。大君のへにこそ死なめかへりみはせじ。若者達は花と散ったが、同じ彼等が生き残って闇屋(やみや)となる。ももとせの命ねがはじいつの日か御楯とゆかん君とちぎりて。けなげな心情で男を送った女達も半年の月日のうちに夫君の位牌(いはい)にぬかずくことも事務的になるばかりであろうし、やがて新たな面影を胸に宿すのも遠い日のことではない。人間が変ったのではない。人間は元来そういうものであり、変ったのは世相の上皮だけのことだ…


天木直人のブログより、山崎正和氏の米国金融市場主義批判を笑うを読んだ。山崎正和の堕落ぶりが笑えて、堕落論つながりでちょうどいいやと思った。

…彼の言っている事はまったく正しい。しかしその言葉が彼の口から出るところが笑ってしまうのだ。

山崎氏は60年代の安保闘争の頃から、保守・親米の自民党政府を支える御用学者として育てられた一人だ。あのイラク戦争の時も徹底して米国支持を繰り返した。小泉首相を擁護した。今では中教審会長を嬉々として受け入れるような政略の塊のような有識者の一人である。

そのような人物が、軍事力とならんで米国の世界支配の両輪である金融資本主義を、ここまで批判する事は、あまりにも不自然だ。米国が聞いたら怒るだろう。反グローバリズムの連中が聞いたら、それは俺たちのいうせりふだ、と苦笑するに違いない。

ひょっとして大損をさせられた腹いせではないかと思ったりもする…


ところで、EU労働法政策雑記帳より、理科が大事!がいい。これを読んで、山崎正和の堕落ぶりがよくわかった。言を弄するだけが文系でないのは、坂口安吾に接すれば明らかだ。だが、山崎正和の堕落ぶりを見れば、彼のようなタイプこそは、つぎのような一文を読んで、はっと目覚めてもらいたいものだ。竹中平蔵しかり、宮内義彦しかり、船橋洋一しかり、さらにいえば、八城政基しかり、山本一太しかり、長嶋昭久しかり…。

…大学入試の仕組みのために、いわゆるヘタレ文科系インテリに一番欠けているのは理科の教養なんですね。理科の大事なところは、理屈が通っていることと、経験的事実に即していることの両方が絶対に大事だというところで、事実に即さない屁理屈をこねくり回すだけでは理科にならないし、理論抜きに個別の事実をもてあそぶだけでも理科にならない。多分、その辺がヘタレ文科系って奴の最大の弱点なんじゃないかと思うわけです。エセ科学にころりとやられる。

前にこのブログで引用した大瀧雅之氏の

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_54bc.html

>・・・そうした中、まことに単純で杜撰な想定に基づく計算から導出された証券価格やリスク評価を盲信し金融経営の中心に据えることは、経営の怠慢に他ならず、背筋に寒いものを感じる。筆者が文科系学生の数学・理科教育が何にもまして重要と考えるのは、こうしたプリミティブな「数学信仰」そして同じコインの裏側であるファナティシズム・ショーヴィニズムを抑止し、広く穏やかな視野で論理的な思考を涵養せねばならないと考えるからである。彼らが数理科学の「免許皆伝」となることは残念ながらまったく期待できないが、組織・企業の要として活躍するには、そうした合理精神が今ほど強く要求されているときはない。

>筆者の理想とする銀行員像は、物理・化学を初めとした理科に造詣が深く、企業の技術屋さんとも膝を交えて楽しく仕事の話ができる活力溢れた若人である。新技術の真価を理解するためには、大学初年級程度の理科知識は最低限必要と考えるからである。そうした金融機関の構成員一人一人の誠実な努力こそが、日本の将来の知的ポテンシャルを高め、技術・ノウハウでの知識立国を可能にすると、筆者は信じている。

という痛烈な批評とも通ずるものがあります…


2008年3月9日 根賀源三


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